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2013.09.07

宮崎駿監督の引退記者会見

スタジオジブリの宮崎駿監督が引退の辞を出され、今後の10年のスケジュールから長編アニメーション製作を外す旨を発表された。

長編アニメからの引退発表の反響に応え、昨日14時から記者会見があった。

90分にもおよぶ会見だったが、ニコニコ生放送やユーストリームで最後までご覧になった方は多いだろう。

日本テレビ系列でも、ワイドショーの中で前半を生中継したらしい。

観ていてもとても興味深く、そして楽しい会見だった。

ああ、宮崎監督は境地に達したことが良く理解できる。
見ていて幸せになれる記者会見って、それはそれは凄いことだ。

「引退の辞」の中でも言及しているが、宮崎監督はジブリ美術館の展示物を少しずつ補修したいと考えられているようだ。

「自分が展示物」なんて言い方もされていたので、自身が展示物を描き直す作業まで展示してしまおうと考えられているのだろう。

実現すれば、ジブリ美術館の入館予約はプラチナチケットになる。


人の幸せも十人十色だろうけど、「風立ちぬ」の主人公と同じく、文字通り仕事一筋であることを再確認した。
来る日も来る日もアニメーション製作に臨む日々。就業条件で考えれば、ブラックなんて生易しいものではない。
蟹工船もいいところだ。

監督としては、先が見えない、それでも広げた風呂敷を閉じなればならないという苦悩の連続で、つらい仕事だという。

しかし、アニメーターは世界の真理を垣間見る。自然の仕組みに気付き、だからこそ風までも描き出すことができる。
世界を抽象化するには、世界を知らなければできない。その域に達せたと思う瞬間があるらしい。それは、凄いエクスタシーだろう。

そんな大仰なことばかりでなく、良く描けたと感じて幸せになれる職業。作業の中で幾度となく幸せを感じ、かみしめることができるのがアニメーターの原動力のひとつという。

作業の中でうまくいったことに幸せを感じて、仕事の励みになる。これって、多くの日本人は共感できるのではないだろうか。

しかし、人権の名のもとに、このような幸せは過小評価される傾向にあるけれども。


記者会見の中で、スタジオジブリの会報誌「熱風」2013年7月号で宮崎監督が寄せた「憲法を変えるなどもってのほか」という記事の真意に言及された。

思想に関しては一般市民である自分の個人的考えを、「熱風」から取材されたから答えたまでという言い方だったが、そのあとに、実は今年5月に東京新聞の憲法特集における鈴木敏夫プロデューサーへのインタビュー記事で、鈴木プロデューサーが 「平和をもたらした憲法九条をもっと世界にアピールするべきだ」として憲法九条改正に否定的な見解を発表し、それに対して鈴木プロデューサーへの脅迫行為があり、暴漢への対処のひとつとして、宮崎監督も自ら憲法九条改正反対を表明し、ついでに高畑勲監督にも同様な趣旨の発表をしてもらえば、脅迫の矛先が三つに増えて陽動になる的な発言であった。

もっとも、宮崎監督のユーモアの一つだったかも知れない。
どちらかと言えば左翼思想をお持ちであるのは、周知の事実である訳だし。


宮崎監督の長編アニメーション引退記者会見の模様は、機会があれば是非ご覧になることをお薦めする。
達人の幸せをわけてもらえた気がする一時でした。

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2013.09.03

TV内蔵BSチューナー故障とBSアンテナ常時給電装置の追加

BRAVIAのエラーメッセージテレビを点けたら、エラーメッセージが表示された。

「取扱説明書をご覧いただきBSアンテナ電源(コンバーター電源)や、アンテナの接続を確認してください」

嫌な予感。

チャンネルをBSやCSにしても映らない。以前と同じ症状だ。原因も同じだろうか?

以前は、BSアンテナへの給電機能が故障したことが原因だった。
BS/CS用のパラボラアンテナは、周波数のダウンコンバータを内蔵していて、その動作用に15Vをアンテナ線から給電する必要がある。

BSチューナーを内蔵したテレビや録画装置は、一般に自身が動作する際にのみBSアンテナ線から15Vを供給できるようになっている。

BSアンテナへの給電設定をオートにしておけば、BSチューナー内蔵のブルーレイレコーダーとBS内蔵テレビが同時に動作している場合などは、テレビからの給電が自動停止するようにもなっている。

テレビには旧いHDDレコーダーが接続されている。
しかし、アナログチューナーしか付いていないので、アンテナ線は繋いでいない。

このHDDレコーダーがスタンバイ中でも常時アンテナ給電する仕様なら、BSアンテナをこれに繋ぐことで解決する。
しかし、起動中でしかアンテナ給電しないモデルだった。

とにかく不具合原因の特定が先だ。
常時アンテナ給電する仕様のBSチューナー内蔵のビデオデッキを引っ張り出してきて、BSのアンテナラインに割り込ませた。

ああ、やっぱりだった。
BSのアンテナラインにビデオデッキを割り込ませたら、BSもCSも問題なく受信できるようになった。

当座はビデオデッキを繋ぐことでBSとCSを視聴しよう。しかし、もっとスマートな手法も検討しよう。

本来ならテレビを修理すべきだろう。
しかし、以前メーカー保証修理を受けた際の対応では、チューナー基板一式の交換だった。

延長保証に入っているとはいえ、修理代のすべてが補償されるタイプではない。
部品代と出張修理費で、5~7万円は掛りそうだ。さて、どうしよう。

調べたところ、電源供給器を使えば良いらしい。

さらに調べると、電源分離型のアンテナブースターの電源部が15Vタイプならば、代用できることも分かった。

ジャンク屋で探すと、DXアンテナのOVT-924CG用電源が500円で売っていた。

早速ビデオデッキと置き換えたところ、きちんとBSアンテナへ給電されているようで、BSもCSも問題なく受信できている。

テレビの修理は見送ることにした。

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2013.09.02

風立ちぬ

1日は映画の日だったので、長女氏と一緒に「風立ちぬ」を観てきた。

次女氏ならびに長男氏とみーちゃん氏は、児童会で観てきている。
彼らの評判は悪かった。飛行機ものだったので、長男氏はそれなりに楽しめた様だ。

夜になって、宮崎駿監督が長編アニメーション映画の製作から引退することを、スタジオジブリが正式発表した。

「風立ちぬ」で主人公の夢の中に登場するジャンニ・カプローニ伯爵に、「人が最もクリエイティブに全力を発揮できる10年間を大切にしなさい」といったニュアンスのセリフを言わせている。

宮崎駿監督にとっての10年間は、「未来少年コナン」から「となりのトトロ」までの1978年から1987年だったのではないかと感じている。

近藤喜文さんが健在であったなら、「紅の豚」が長編最後の作品であったかも知れない。

「もののけ姫」以後は、スタジオジブリを守るために長編作品の製作に挑んでいたのだろう。
結局、宮崎ブランドとジブリブランドは同義である。ここを払拭できなかったのは、高畑勲監督のジブリに対する責任感が今一歩だったからかな。

高畑監督作品は商業主義に囚われないとする方針なのかも知れない。

そもそも、演出家をブランドとして全面に押し出すのがジブリのスタイルであったのだから、仕方ないのか。

劇場映画では、当たり前なやり方だしね。


宮崎吾朗監督の「コクリコ坂から」は秀作と思ったが、米林宏昌監督の「借りぐらしのアリエッティ」の興行収入の半分ほどでしかなかった。

これは、前作の「ゲド戦記」で期待を裏切られた反動だろう。
主人公が高校生の青春ものというのも、関係しているだろうけど。小学生以下の子連れが観るには、ちょっと選びにくいテーマだ。

宮崎駿監督は、長編アニメーションの脚本からも引退してしまうのだろうか?
吾朗監督作品を、もう2本くらいは面倒見ないと、ブランドを引き継ぐことが難しいのではないかと少し心配してしまう。


今で言うブラック当たり前なかつてのアニメーション製作の中で、一般の大企業と変わらない就業条件を提供する会社を設立して優秀な人材を繋ぎとめるのが、スタジオジブリの意図だったと記憶している。

そのため、製作スケジュールをよりコントロールしやすい劇場用長編アニメーションを専業としたのだそうだ。

ジブリは、送り出す作品を失敗させる余裕はあまりないだろう。

これからの10年で、宮崎駿監督の代わりとなるブランドを持てるかどうかが勝負。


宮崎駿監督の長編引退のニュースを聞いて、そんなことを思った。


さて、「風立ちぬ」。

とても面白かったが、観客に何を伝えたかったのか、テーマが希薄な映画だった。

この企画を鈴木プロデューサーが宮崎監督へ相談した時、監督は子供向けでないことを理由に反対したが、企画スタッフの一人が「映画を観たときはわからなくても、いつかわかる時が来る」との意見で翻意したそうだ。

零戦を設計した堀越二郎という実在の人物を主人公に、堀辰雄の小説『風立ちぬ』をオマージュした恋愛要素を付加している。
そのため、架空のヒロインが登場する。

全編ファンタジーな作りで、主人公が見る夢(睡眠中に見る夢)の描写も多い。

東京大学生の主人公が実家での夏休みを終えての上京中の車両の中で、ヒロイン菜穂子と出会う。
満員の三等車両で幼子を抱える婦人に席を譲り、風渡るデッキに出てステップに腰かけ本を読んでいると、急な突風で彼の帽子が飛ばされる。その帽子を、二等車両のデッキに出てきていた少女が受け止める。
少女は帽子を掴むためデッキの手すりから落ちそうになるが、そこはすかさず二等のデッキへ飛び移った主人公が、後ろから抱きとめて事なきを得る。

少女菜穂子が主人公へ帽子を手渡す時、「ル ヴァン ス レヴ(風が立つ)」とつぶやき、「イル フォー タンテ ドゥ ヴィーヴル(生きようと試みなければならない)」と返す。

菜穂子は、相手の値踏みをし、主人公は見事応えたというところか。

自分にとっては全編こんな感じで、とくに主人公とヒロインの最初のやりとりはタイトルまでにもなっているのだが、当時の一般大衆から乖離した人々のおしゃれな演出としか心に残らない。


ストーリー中に開戦(太平洋戦争)したが、戦局もほとんど描かれない。

ヒロインと再会する軽井沢のホテルでは、ゾルゲらしいドイツ人が脇役として登場するが、彼にヒトラー批判のセリフを少し言わせるだけで、登場する頻度の割に物語を動かさない。

この邂逅により、特高(特別高等警察)が政治犯として主人公に目を付け、主人公が勤める会社(三菱内燃機製造株式会社名古屋工場)が全力で特高から守ることが宣言される。
ただし、「守るだけの価値がある間」と上司が釘を刺す。

この辺りは、今までの戦中ドラマではあまり描かれなかった事実なのだろう。


ヒロインが去り、主人公が目指していた理想の飛行機に近い試作機のテスト飛行が成功したシーンの次は、敗戦後の主人公の夢の中の情景で幕を閉じる。

その夢の中でヒロインと再会するシーンを観た時、主人公はヒロインが去った後は夢すら見ることが叶わなかったことを感じる。


「風立ちぬ」は悲劇を明瞭に描いていない。ヒロインが主人公に、美しい自分しか見せなかったように。

劇中のエンジニアたちは、戦争の道具を生みだすことに懊悩としないし、貧困を目の当たりにしても仕方ないこととして受け入れる。

それは、ちょっと話題になったタバコの扱いと同じで、当時のリアルな雰囲気なのだろう。

しかし、菜穂子との恋物語などフィクションを入れて、主人公の夢のシーンに尺を割き、ファンタジー色が強い描き方をしているのだから、「ハウルの動く城」で描いたような、兵器が人々を蹂躙する無慈悲な描写を加えても良かったのではないかと感じる。

反戦を訴えたいのなら、もっとあざとい演出がわかりやすい。劇中で主人公が糾弾されて終わるというのもありだろう。

この映画を観た少年少女たちも、「いつかわかる時が来る」としたいなら、反戦につながる印象深い強烈な映像描写もあってよかった。月並みな手法かも知れないけど。

もっとも、これはジブリ作品であって、やはり子供たちに夢を与える善良な作品としての体裁は重要なんだろう。

それこそが、スタジオジブリであり、観衆もそれを期待しているのだ。

それに、ジブリの作品は繰り返し観られるものだ。
「風立ちぬ」も、来春にはセルビデオになるし、レンタル視聴できるようになる。

再来年の夏には、日テレ系列で地上波テレビ放送もされるだろう。

一期一会のように映画を観ていた時代とは違うのだから、淡白な演出がスマートなのかも知れない。


演出家を冠した作品作りとは言っても、ジブリとしてのガイドラインはある。
宮崎駿監督が引退することで、近い将来、ディズニー同様にスタジオジブリの作品も、ジブリ作品としてブランドが確固になれば良い。
それは、これからの10年でどれだけ優れた作品をリリースできるかに掛っているのだろうな。

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