« 赤石峠 | トップページ | 2007年7月の走行記録 »

2007.07.30

ツール・ド・フランス終わる

昨日のシャンゼリゼで今年のツール・ド・フランスが終わった。

第17ステージ前にマイヨジョーヌを着ていたミカエル・ラスムッセンが、所属チームのラボバンクから解雇されてしまった。
第16ステージ前にエースのヴィノクロフのAサンプル陽性発表を受けてアスタナが去ったこともあって、俄ツールファンのわが家では一気に白けてしまった。

ヴィノクロフが行ったとされる血液ドーピングとは、高地の様な酸素濃度の低い環境でトレーニングを行って血中の赤血球量を増やし、その状態の血液を抜いて冷蔵もしくは冷凍保管しておいたものをレース時に輸血して血中の赤血球量を一時的に増やしてしまうもの。

しかし、ラスムッセンがどんなドーピングを行っていたかはわかっていないし、そもそもドーピングをしていたのかもわからない。
ラボバンクの解雇理由は、チームに対して居場所の虚偽報告をしたというもの。
UCI(国際自転車競技連合)プロに所属する選手は、24時間365日チームに所在を明らかにしておく義務があるのだそうだ。
そして、ある日突然UCIのスタッフやナショナルチームのアンチドーピング委員会のスタッフが抜き打ちドーピング検査のために選手の元を訪ねる。
ラスムッセンはチームに虚偽報告するなどして、UCIとデンマーク自転車競技連盟それぞれの抜き打ちドーピング検査を都合2回ずつばっくれた。
ひとつの組織の検査逃れを3回行うと、ドーピング事実があったこととして扱われるルールとなっている。しかし、今回はそれぞれ2回なので黄信号といったところだ。
そして、ドーピング逃れの事実は3回アウトまでは公表されないのがルールの筈だった。しかし、デンマーク自転車競技連盟がラスムッセンに対して9月に行われる世界大会のナショナルチームと来年の北京オリンピック代表へ加えないとの発表をしたために、その理由を問いただされた形でデンマーク自転車競技連盟のドーピング検査を所在不明で逃れた事実が表面化した。
尚、北京オリンピック代表へ加えないという発表は、後日、検査をちゃんと受ければ問題ないといったニュアンスへ訂正されている。

さて、このニュースを受けてUCIのドーピング検査逃れも表面化するのだが、これは情報がリークされたものらしい。
これらドーピング逃れの事実により、ラスムッセンがドーピングを行っていたのはほぼ間違いないといった雰囲気になったらしい。
そして、先月メキシコに居たとチームへ報告されていたのにイタリアでラスムッセンに遭ったとのカッサーニ証言が、所在地虚偽報告の根拠の一つとなった。
ツール主催者はラスムッセンが出場していることに対し公然と不快感を表明するようになったし、選手間でもラスムッセンを強く疑う風潮があったそうだ。
ラスムッセンはフランス人ではなかったし、しかも選手仲間からも好かれていなかった。
勝利に対する執着がずば抜けて高い割にストイック過ぎて面白みがなく、しかも自分を理解しない周りを攻撃的に嫌うタイプの人格だったのかも知れないね。
第17ステージではラスムッセンが排除されたことに対して選手からの抗議もなく、むしろプロトンは和やかなムードが漂っていて解説の栗村修氏が当惑していたほどだったから。

ツールは昨年、スペイン警察が行ったドーピング捜査「オペラシオン・プエルト(OP)」で疑わしい選手としてリストアップされたメンバーをプロローグ前日になって一斉排除した。
このことから、ラスムッセンの検査逃れがプロローグまでにわかっていれば、彼の出走はなかったと言われている。
しかし、検査逃れの事実が表面化しても、ツールはラスムッセンに対して退去勧告を行わなかった。ラボバンクに対して要請はしていたらしいが、結果としては不快感をあらゆる手段で表明することでスポンサーを動かした形となった。

そして、ラスムッセンのマイヨジョーヌがほぼ確定した第16ステージ後という最悪なタイミングで、やっと彼は排除された。
しかも、ドーピングに関しては状況証拠でさえない。なんとも釈然としない。

テレビカメラがヒーローを作り出すように、ヒールも作り出せる。ラスムッセンはヒールだという雰囲気作りを行ったのは、ツール主催者だったと思う。そして、ラスムッセン自身の人望の無さがそれを助長した。

薬学を中心とした化学や工学に根差した医療技術をスポーツに持ち込めば、その応用範囲は際限が無い。
選手は勝つためにハードなトレーニングと自己管理に努めている。しかし勝てる人間は一握りで、その差は僅かであることをトッププロは自覚していると思う。その差を埋めるための手段があれば、活用しようと渇望するのは勝つために生きる人々にとっては当然の思考だろう。
ドーピングが認められれば、人体実験まがいの運用がなされるだろうし、それを選手は厭わないだろう。
だからこそ、倫理的にドーピングは認められてはならない。しかし、選手たちは勝ちたいのだ。

アンチドーピングコントロールは透明性を確保して公平に行わなければ、勝ちたいと常に切望している選手たちに支持されないだろう。
公平さに疑問を持つトッププロは、ドーピングに対して罪悪感が乏しくなると思われる。
アンチドーピングコントロールが公平に行われていることを内外に広く詳細に公表して行かないと、スポーツ界のドーピング問題は収束しないだろうな。

ヴィノクロフはAサンプル陽性の情報でチームから出走停止処分された。そしてアスタナがツールを去る決断もなされた。
翌日にはモレーニのAサンプル陽性の発表を受け、彼自身がテストステロン服用の事実を自白し、所属するチームのコフィディスもツールから撤退した。
しかし、本来のルールではAサンプル陽性の事実は公表されないことになっている。ところが今回も第一報は正式に公表されたものではなく、レキップ紙のウェブサイトが伝えたものだ。
要はレキップに検査情報がリークされた訳だ。モレーニに関しては、同時にサンプル採取されたハンターなどの8選手の中の一人として挙がっていた訳だが、結局その記事のために記者会見が行われて正式に陽性反応者はモレーニであったことが発表されるに至った。
尚、ヴィノクロフのAサンプル陽性については、ツール主催者であるASOにも情報がリークされていたそうで、その情報を受けてASOはアスタナに出走停止を要請していたそうだ。

Aサンプルが陽性であれば、十中八九Bサンプルも陽性であろう。しかし、万が一でも間違いが起こってはならないための二重体制だ。
そして、Bサンプルの検査結果をもって初めて処分が決定されることになっている。
にもかかわらず、Aサンプルの検査結果情報がリークする。情報管理ができない組織が、果たして検査サンプルの管理から検査方法にいたるまで正確且つ公平公正に管理実行していると信じられるだろうか?
というような疑心暗鬼の芽がいまだに摘まれずに放置されている。

アンチドーピングコントロールのための選手の負担はとても大きい。
その負担を正当なものであるとするには、アンチドーピングコントロール運用のルールもまた厳格でなければならない。
そして、人種国籍所属チームに関わることなく、公平に運用されていることを常にアピールできなければ、すぐに破綻してしまうだろう。


ヴィノクロフとラスムッセンの排除に随分とがっかりはしたけど、今年のツールは各ステージ常に見応えがあった。
これほどテレビ番組を見たのも久しぶりかも。
今年からハイビジョン製作となったそうで、ハイビジョンならではの鮮明かつワイドな映像がより楽しさを倍増していたとも思う。
画面構成も工夫に富んで、レース観戦を更におもしろくさせていた。

来年のツールも今から楽しみだ。
そして、今年よりはアンチドーピングコントロールが進化して、レース観戦に支障をきたす事態にはならないように期待したい。


-追記-
ラスムッセンの排除に関して、「ツール開始45日以内にドーピング検査を一度でも逃れた選手は出場させない」というローカルルールがあることを知らなかった。
そうであるならば、先月のラスムッセンの所在不明(チームに対して所在虚偽報告)による検査逃れはこのルールに抵触する。
しかし、この事実をツール主催側(ASO)はカッサーニ証言がクローズアップされるまで知らなかったとされる。
UCIがASOに対して報告義務を負っているかはわからない。しかし検査はUCI主導で行うため、ASOは報告がなければ確認できず、先のルールは機能しなくなってしまう。そして、実際に機能しなかった。
ASOはツール開始前、独自に出場予定選手に対してドーピング不使用の誓約書を提出させている。誓約書を出さないチームは参加させないという方針だった。
UCIがASOに対して報告義務を負うのならば、ラスムッセンが出場したことはUCIのミスだ。
しかし、本当に「ツール開始45日以内にドーピング検査を一度でも逃れた選手は出場させない」というローカルルールがあるのならば、カッサーニ証言がクローズアップされUCIにラスムッセンのドーピング逃れを確認した時点で、ASOはラスムッセンもしくはラボバンクに対してすぐさま退去処分を下すべきだった。それを怠ったのはASOのミスだ。ラボバンクからの自主退去報告を認めた時点で、ASOも悪者となる道を選んだと言える。

|

« 赤石峠 | トップページ | 2007年7月の走行記録 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/28297/15948774

この記事へのトラックバック一覧です: ツール・ド・フランス終わる:

« 赤石峠 | トップページ | 2007年7月の走行記録 »