疑わしきはツールを去れ
昨夜のAFPによる「バロルワールドのロバート・ハンターもドーピング検査陽性反応」というニュースは、どうも誤報らしい。
第11ステージ後のドーピング検査でテストステロンのテストを受けたロバート・ハンター,ミカエル・ラスムッセン,マキシム・イグリンスキー,エリック・ザベル,リリアン・ジェグー,クリスティアン・モレーニ,キム・キルシェン,パチ・ビラから採取されたAサンプルの1つが陽性となった。というニュースを早とちりした報道と思われる。
結局、記者会見によりコフィディスのクリスティアン・モレーニが陽性と発表され、モレーニはチームにドーピングの事実を自白。彼はフランス警察に連行されて事情聴取を受けた模様だ。
また、コフィディスはスポンサーの意向によりツールから撤退する決断を下し、今日の第17ステージはモレーニ以外の選手も出走しない。
そして、昨日の第16ステージで総合優勝をほぼ確定的としたミカエル・ラスムッセンがラボバンクから出走停止処分されるという衝撃的なニュースで今日の朝を迎えた。
ラスムッセンは今年、国際自転車競技連合(UCI)のドーピング抜き打ち検査を所在不明のために2回逃れている。また、母国デンマークの自転車競技連盟によるドーピング抜き打ち検査も所在不明のために2回逃れおり、今年9月の世界選手権には選手として推薦しない旨の通達がなされた。
ちなみに、ドーピング検査逃れは3回行うとBサンプル陽性反応と同等に扱われるのだそうだ。
今回は4度のドーピング逃れではあるが、2つの組織で2回ずつなので、まだツーストライクって状態らしい。
ちなみに、今年のツール・ド・フランス大会中、ラスムッセンは既に14回のドーピング検査を受けている。
しかし、1度として陽性反応は出ていない。
ラボバンクによると、チームに対して6月の練習場所について虚偽の報告をしていたことが理由だが、ラスムッセンの出走停止はスポンサーの意向とのことだ。
昨年のプロローグ前夜、「オペラシオン・プエルト」によりドーピング関与の疑いがある選手が発表された。
名前があがったヤン・ウルリッヒ,イヴァン・バッソ,フランシスコ・マンセボ,オスカル・セビーヤ,ヨセバ・ベロキらを擁する各チームは、当該選手の出走を取り止め。
チーム・アスタナはメンバーが4名となってしまうために、チーム自体が出走を取り止める事態となった。
「オペラシオン・プエルト」とは、スペイン自転車界のドーピング問題に取り組むためにスペイン警察が行った一斉捜査のコードネーム。
ところが10月になってスペイン王立自転車競技連盟が、オペラシオンプエルトによって疑いをかけられていた選手たちへの追求をこれ以上行わないことを発表。
結局、嫌疑をかけられた選手たちはドーピングの事実があったことの証明もされず、さりとて名誉の回復もないといった酷い結果となっている。
そして、疑わしい選手を排除した2006年のツール・ド・フランスは、総合優勝を果たしたフロイド・ランディスが第17ステージ後に行われたテストステロンのテストでAサンプル陽性、更にBサンプル陽性となった。
彼が所属したチームのファナック・ヒアリングシステムは即刻ランディスを解雇し、チーム自体も解散した。
しかし、ランディスはドーピングの事実はないとして提訴し、未だ係争中のために昨年のツールの順位はまだ変更されていない。
さて、ラスムッセンの話しに戻る。
彼はツールに相応しくないということを複数の関係者や大会主催は大会前から公然と口にしていた。
昨年、疑わしい選手を排除した。しかし、彼らがドーピングをしていたという証明は未だなされていない。
そして、排除されずにツール総合優勝した選手がドーピングBサンプル陽性という結果になった。
そんなことを忘れたかのように、疑わしいという理由でラスムッセンをバッシングし、彼がマイヨジョーヌを手にしてからは、ラスムッセンを排除すべく行われたネガティブキャンペーンの様なツールの実況がフランスから発信されたそうだ。
結局、ラスムッセンバッシングと言ってもよい様な方法でファンを煽り、スポンサーを揺さぶって出走停止に持ち込んだような状況と言える。
ここで、こんな仮定を思いつく。
ラスムッセンがフランス人だったら、ツールを追放される事態となったかどうか?
マイヨジョーヌを着ていなかった、どうだったろうか?
ツールもスポーツであって、明文化されたルールに則って運営されている筈だ。
ラスムッセンはそのルールに反して追放されたと言えるのだろうか?
ドーピングの事実を自供したモレーニが去るのは当然だが、Bサンプルの陽性を待たずにツールを去ったヴィノクロフもまぁ仕方ない。
しかし、ラスムッセンはドーピング陽性になっていない。検査逃れは甚だ問題だろうが、ルールで許された回数内だ。
ルールを逸脱してはいない。
さて、今日の夕練もいつもの峠。
4峠越えの周回をするつもりだったが、最初の峠の先で雨が降っていたようで路面が濡れていた。
2つ目の峠の下りで路面の濡れが酷いので、折り返すことにした。
最初の峠の手前で、ボンシャンスの川名選手とすれ違い挨拶を交わす。
峠の先でも人に呼び止められ、戻ったらホルマン先生だった。先週来日されたそうだ。彼はサムの雇い主。
「こんなところを自転車で走ってるのは蝉さんくらいだろう」ってことで呼び止めたとのコト。失礼な(笑)。
今日もあまり調子が良くなかった。TT区間は42分22秒とぼろぼろ。後半はまずまず脚が回ったけど。
それにしても、せめて簡易フェンダーを付けて来れば周回できたのに。
Dist 58.50km,Time 2:35:26,Ave 22.5km/h,Max 60.3km/h
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