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2006.08.07

人形浄瑠璃の日

ベンやステファニーが帰っていった。
ベンは長崎からフェリーで釜山へ出て友人を訪ねながらソウルへ行き、フェリーで青島へ渡ってから上海へ鉄道で移動する予定とのことだった。飛行機で上海行くよりも安いとも言っていたが…。
修士論文も通ったそうで、1年は留学ビザを使って中国へ留まるつもりらしい。
ステファニーはセントレアから飛行機で東海岸まで。是非遊びに来てと言われたけど、いつになることやら…。

他のメンバーも明日には帰国したり留学先へ旅立ったりと、寂しくなるな。

夜は皆で集まって、ちょっとしたお別れパーティーな感じに。
名残惜しいけど、お互いにまた新たな出逢いがあろう。


昨日は長男S氏を母にあずけ、娘たちを連れて人形浄瑠璃を観劇した。

神へ奉納するために継承されてきた歌舞音曲の一つとして、各地に人形浄瑠璃が継承されている。
元々供物だったものが、形を変えてきたのだろう。

今日観劇したのもそういった田舎浄瑠璃の一つで、二つの異なる地区の人形浄瑠璃だった。

午前中は「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」。そして「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)」の順礼歌の段を観た。
「傾城阿波鳴門」は、NHK教育の子供番組「にほんごであそぼ」でも取り上げられているため、長女H氏は聞き覚えがあって頷いていた(笑)。

盛夏でも朝の内は涼しいとは言え、人の集まった冷房のない芝居小屋は暑い。
舞台照明が点ってからは、徹夜明けのボクには我慢比べの心境だったが、子供たちはそれなりに楽しんでいた様だ。
娘たちは「三番叟」を観るのが三度目だったそうで、リズムを覚えてしまっていた。

「傾城阿波鳴門」の順礼歌の段は、親を捜して偶然訪ねてきた少女に対して、実の娘と気付きながらお尋ね者となった父親のため娘に災難が降りかかることを怖れたため母であることを明かせない葛藤を描く。
抑え気味の人形の演技は、太夫の語りが無くても葛藤を表出されるのが不思議だ。
結構すすり泣く声が会場から聞こえていた。

お昼を使って、30キロほど離れた系統の異なる人形浄瑠璃舞台へ移動。
「日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)」渡し場の段と「伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)」お七火の見櫓の段を観劇。

「日高川入相花王」は、「道成寺縁起」の安珍と清姫のお話。
清姫が日高川の渡し船頭になぶられて、大蛇に身を変えて川を渡る場面を描いている。
蛇身となる場面は、「がぶ」と呼ばれる、美しい娘顔が一瞬に鬼面となるカラクリ頭を使って表現されている。
何故か長女H氏は「がぶ」と言う呼び名を知っていて、演目が始まる前に教えてくれた。
尤も、「がぶ」は妖怪の名だと思っていた様だが。

「伊達娘恋緋鹿子」もよく知られた「八百屋お七」に通じるお話し。
この外題では、恋しい吉三郎との再会のために付け火をするのではなく、吉三郎が紛失した剣を見つけ出し彼に渡せるように、夜間に閉められる江戸の町の木戸を開けさせるため火事を装って火の見櫓に登り半鐘を打ち鳴らすという筋書きになっている。
木戸は江戸の町の防犯のために夜間の往来を制限するものだが、火事の際は無条件に開かれる。また、付け火は死罪火刑だが、同様に狂言火災も火刑で、お七は吉三郎のために命を懸けて半鐘を打ち鳴らす。
火の見櫓を人形が登るシーンが見どころ。操り手は火の見櫓のセットの裏から操作するため、観客からは人形だけしか見えなくなる「ケレン」の技が使われる。
半鐘を打ち鳴らす姿もダイナミックで、「日高川入相花王」のがぶ同様に子供たちも見入っていた。

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